バート・デュルクハイム(Bad Dürkheim)のHardenburg地区にあるブルク廃墟。バート・デュルクハイムとカイザースラウテルンを結ぶ街道上、山の斜面にあります。
ハルデンブルク城への行き方
ハルデンブルク城の歴史年表
城の歴史は、1206年に、シュヴァーベン国王フィリップからベネディクト派修道院のリンブルクを通して、シュパイアーガウの城代の地位をライニゲン伯が就いたことに始まります。まだライニゲン伯はまだ領主ではなかったが、時間が経つうちに所有権が移るきっかけとなる公の権利と権限を持っていました。このような成り行きは、中世世界で封建領主が確立していく上で重要な役割を担います。バート・デュルクハイムとカーザースラウテルンの通行権(税)は城代の重要な収入源でした。
このようにして収入を得た後、ハルデンブルクは城を築き始め、1214年、ライニゲン伯フィリードリッヒ2世の時に完成しました。しかし城の完成は喜ばしいものではなく、土地はライニゲン伯爵のものというわけではなく、リンブルク修道院のものだったために、リンブルク修道院との争いが絶えませんでした。しかし、これを基にしてライニゲン・ハルデンブルク家は成長していきました。
城の最も頑強な部分はケルンブルクの部分であり、1480年から1550年にかけて増強されたものです。16世紀に外城門がかつての砂岩の深い首型堀の部分に建設しまし。正門方面は守りが堅くなっており、直径約23mの円塔があり、城壁も6.5mあり、高さは現在でも26mはあります。
切石が15mの広さに広がり、城の古い部分である5mの盾城壁へとつながります。狭い連結路はフォアホフへとつながります。連絡路の途中に窓のない小部屋が2つあり、狭い螺旋階段で上の階へとつながります。小部屋は1725年に伯爵が宮廷として使っていたものです。
ブルクのフォアホフから南に防御壁が断片的に残っています。強大な円塔が残っていますが,直径はわずか23mしかありません,しかし壁の厚さは4mあります。攻撃し難い山の急斜面側に建っています。
主塔は四角い建物で、1510年に建造された際、紋章が取り付けられており、防御用の開口部が設けられています。現在立ち入ることができない建物は、かつての首型堀の部分を通って西塁壁へとつながる狭い階段通路です。