
中世ドイツの人たちはどんな食事をしていたのかしら?日本と違ってヨーロッパの寒いから、あまり豊かではないイメージがある。
中世の時代は今のように、便利な水道もなければ冷蔵庫もありません。便利なシステムキッチンもありません。
人々は保存食や香辛料を駆使し、工夫をこらした食生活を送っていたと考えられています。
では、実際の中世ドイツの食卓はどのようなものだったのでしょうか?
本記事では、映画や小説のイメージとは異なる中世ドイツの食文化をお届けします。



今のような便利なキッチン用品や家電がなくても、上流階級はそれなりに豊かな食生活をおくっていたよ。
中世ヨーロッパの飲み物つついては、こちらの記事で紹介しています。


中世ドイツの食事風景


城での食事は基本的に3回。初期の頃は朝夕の2食でしたが、時代とともに昼食も摂るようになりました。
- 朝食は、早めのミサの後にパンと肉とワイン
- 昼食は軽く、パンとワインまたはビール
- 夕食は最も重要で豪華
小さな城での毎日の食事は、豆や穀物を使った粥や硬いライ麦パン、乾燥肉や塩漬けの魚などの長期保存が可能なものが中心でした。
一方、祝祭での食卓は、狩猟で獲た新鮮なジビエ肉やスパイスをふんだんにを使用した料理が並びます。
男女別々の食卓
中世初期は、男性と女性が別々の場所で食事を摂るのが一般的でした。
大広間にテーブルがセッティングされ、男性たちには豚肉を中心とした料理が運び込まれます。一方、ケメナーテ(Kemenate:夫人の間。いわゆる奥)にいる女性たちには、野菜や穀物中心の食事が提供されていました。



男性と女性で食事内容が異なっていることがポイント!
女性も宴席に参加するようになったのは、11世紀以降になってからで、同じテーブルに互い違いに座るようになりました。
食卓の準備
食卓テーブルは常設されておらず、食事のたびにセットされます。
当時は城から城へと移動する生活が一般的だったので、テーブルも椅子も折りたたみ式の簡素なものが主流でした。


また、テーブルクロスは口や指を拭くためにかけられました。
祝祭日には王侯貴族は金や銀の食器を使い、それ以外は木製や土製。1300年以降は陶器が一般的になりました。
ワインは水差しに入れられ、カップに注がれました。カップは粘土、錫、木、銀、金で作られ、ガラス製はまだほとんどありません。
フォークはまだ存在せず、ナイフや手で食べ物を口元まで運びます。
ゴシック時代になると、ソースやスープは木製のスプーンを使用して食べるようになりました。
テーブルを片付けるとは、文字通りテーブルそのものが片付けられました。テーブルの上の食器や残った料理をテーブルの板ごと持ち上げて厨房まで運び出します。



男女がまだ別々の食卓だった時代、使用人たちはテーブルの上に残った肉料理にありつけたから、貴婦人たちよりも下女たちのほうが肉を口にできる機会が多かったんだよ。
宴席での食事風景
皿も杯も今のものより大きく、通常、二人の客が一つの皿で食べ、一つの杯で飲んでいました。
食事のためのマイナイフを必ずしも全員が携帯しているわけではありません。1本のナイフで2人で共有することもありました。
男女同卓になってからは、男女二人の客が一つの皿で食べ、男性は女性のために肉を切り、一番良い部分を渡すようになりました。
宴席でのテーブルの順番は重要で、「取り残された」と思うような人がいないようにしなくてはならず、宴席でご馳走となるメインの肉を平等に切り分けるのは城主の仕事でした。
宴会の席での食事の様子は、下記で詳しく述べています。


中世の主食:粥とパン


実際の食事風景は、多くの騎士映画に出てくるような食事風景とはまったく異なるものでした。
ひじょうに簡素で単調なもの。ジャガイモやトマトがヨーロッパ大陸に伝えられる前の時代です。



一体どんな食べ物を食べていたのか、ちょっと覗いてみましょう。
中世ドイツの主食はパンと麦の粥です。これらは身分と収穫時期によって内容が大きく異なります。
麦や豆の粥
豆やレンズ豆、エンドウ豆を煮込んで作った粥は、庶民の主食でした。
ここでは粥と書いていますが、ポタージュスープの10倍ぐらい濃くてどろどろしたものを想像してください。材料の形がほとんど無くなるまで煮こんだスープです。



具材の形がなくなるまで煮込んだシチューのイメージが近いかも
温かい粥ばかりではなく、冷えきってしまった粥も良く食べていたようです(現在でもドイツ人は1日に1度ぐらいしか暖かい食事を摂りません)。



いつも温かいご飯を食べる日本の食生活とは、随分違うのね。
同じ粥でも貴族の場合、米を使って粥を濃化するなど、より贅沢な食材が使われました。
当時は歯の悪い人が多かったのですが、粥は歯の悪い人も難なく食べることができる利点があります。
粥の他に、カラス麦のムースも食べられていました。夕食に1品か2品だけ、暖かい食べ物を食べていました。
黒パンと白パン
当時、最もよく食べられていたのはライ麦。粥の他に、パンも作られました。
現代のドイツの黒パンにその名残を感じます。





ライ麦パンは、噛めば噛むほどに旨味が増して美味しくなるのよね。ハムやチーズにピッタリの味わい!
朝食と昼食に食べるパンは、焼きたてこともあれば、古いパンのこともありました。
硬いパンをミルクやワインに浸して柔らかくして食べていたようです。
上流階級はふすまを取り除いた小麦から作った柔らかい白いパンを食べていました。



白いパンは「領主のパン(Herrnbrot)」とも呼ばれ、白いパンが食べられるのは貴族の特権だったよ。
パンは毎回の食事に欠かせないものです。今でもフランスやイタリアであるように、食卓には白いパンが置かれていました。


カラスムギとオオムギは食用には適さないため、カラスムギは馬の飼料とされ、オオムギからはビールを醸造しました。
肉と魚:貴族と庶民に大きな差





肉はヨーロッパ人の主食だよね?



と言いたいところだけど、庶民はそれほど肉を口にすることはできなかったよ。それでも昔の日本よりは多いけどね。
新鮮な肉を食べることは貴族の特権。
一方庶民は年老いて使用に適さなくなった家畜を屠殺した硬い肉を食べていました。老いた動物の肉は硬いため、スープやシチューにするのが一般的です。
家畜の肉
豚肉は特に脂肪分の多い部位が好まれ、マトンも喜んで食べられていました。
家畜は森の中の囲い地で飼います。
豚を放す囲い地には豚の餌となるものがたくさん落ちているところ、つまり広葉樹林が利用されした。当時の集落の分布を見ると、ドングリを実らせる木々が多い広葉樹林帯に集中しています。
ウシやヒツジなどは、ミルクが出なくなったり毛が取れそうになくなったり、労働にも使えず、利用価値がなくなった個体を庶民たちは屠殺しました。



硬い老齢動物の肉は、ミンチにしてソーセージにするか、シチューやスープにして長時間煮込むしかなかったので。
ジビエ料理
狩猟は貴族の特権であり、当然これらの野生動物を口にすることが出来たのは領主のみです。
狩猟で採取した野生動物の肉は串焼きにして、食卓を彩りました。
狩猟で獲物を仕留めると、騎士たちはその新鮮な肉を喜んで食べます。
アカシカ、カモシカ、アルプスカモシカ、ヤギ、イノシシ、クマ。時には小動物のキツネやアナグマ、ノウサギ。小鳥もテーブルを賑わしました。
肉の中でも鳥類の肉は重要で、ガチョウ、ハト、ニワトリはもちろんのこと、現在ではあまり食べられないキジ、ハクチョウ、チドリ、コウノトリ、カラスなども食べられました。
鶏肉を串に刺してローストし、ペッパーソースをかけたり、パイに詰めたりして食べるのが人気。
肉の中でもクジャクの肉は祝宴の華。
初期のキリスト教徒にとって「極楽の鳥」であり「不死の鳥」とされた鳥、クジャク。
クジャクのロースト肉には羽帽子をかぶせた見事な装飾が施され、羽帽子を外すときにテーブルスピーチを行うほど、クジャクは特別な存在でした。



アーサー王伝説には、1羽のクジャクの肉を150人の客人に行き渡るように切り分けたというものがあるほどだよ。


1400年頃になると、クジャクよりもはるかに美味しいキジが喜ばれるようになりました。



どうせ食べるのなら、手に入りやすくて美味しいほうがいいよね。


家畜肉は年老いた個体の硬い肉ですが、狩猟で得た獲物は若い個体の柔らかい肉を手に入れることができることが大きな違い!
魚類
川や湖に近いところでは魚もよく食べられました。下男が定期的に釣り具や魚網をもって自ら採取するか、近くの街に買い付けに出かけました。
サケ、マス、ニシン、コイ、カマスなどが主に食べられました。
川や湖で捕れる淡水魚は、内陸に住む人々にとって貴重なタンパク源です。
野菜や果物類


領主婦人は定期的に下女を森に行かせ、ナッツ類、キノコ類、食草を採らせました。
近世の城の庭園は美しく彩られていますが、戦いに明け暮れた中世の城では、果樹、豆類、西洋油菜、ウイキョウ、セロリ、ネギ等が栽培されていました。
籠城にも役立つ家庭菜園


Marion Halft, CC BY-SA 4.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0, via Wikimedia Commons



庭園と言うよりも、まるで畑ね。
城にあるハーブ園や果樹園、いわゆる家庭菜園は城の住民たちにとってひじょうに重要なものです。
これらの作物は籠城戦の時の重要な食料源になるのはもちろんのこと、冬場、特にリンゴは重要なビタミン補給源として重宝されました。
多くの城でブルクマン、召使い、女中、領主が週に何個のリンゴが与えられるのか、契約で決められています。
フランケンシュタイン城(オーデンヴァルト)には以下のような契約内容の記録が残されています。
- 戦うもの:1個/日
- 戦わないもの:1個/週間
- 女性:虫食いのリンゴ





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戦いの多い時代。戦士としての男性が優先されていたんだよ。
城の庭園では、食草ばかりではなく薬草も栽培されていました。
騎士が宴会でビールやお酒を飲みすぎて二日酔いになってしまった場合、ハーブティーを煎れて飲んでいました。
また、騎士が負傷したり病気になった場合も、治療のためにハーブティーを煎れて飲んでいました。戦いになると、女性たちは傷ついた戦士たちを、城で栽培している薬草で治療する役割がありました。
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保存食


自然の厳しいヨーロッパでは、食べ物が不足する冬に向けて様々な保存食が盛んに作られ、食べられていました。
保存食として、以下の方法が用いられています。
- 野菜、豆類、エンドウ、キノコ類
-
冬に向けて乾燥処理を施しました。
- 肉類
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家畜はできるだけ冬眠させず、繁殖のための一部を除いて屠殺し、その肉を塩漬けや燻製にしました。魚も保存するために、薫製にしたり塩漬けにします。
城の調理場の煙突に吊るして、燻製にしていたそうよ。
時には肉と果物を同じ樽に漬け、果汁を肉に染み込ませて保存性をよくしました。
害虫をいっしょに漬け込んでしまったり、ネズミに食べられたりと、いろいろ苦心していたみたい。
ポチップ - ナッツ類
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ナッツはそのままの形で保存されました。
中でもアーモンドは貴族の食卓になくてはならない材料で、ムースやソースに使われました。
- 果物
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果物類はドライフルーツにする他、蜂蜜漬けにすることで保存性を高めました。
リンゴはそのままの形で保存され、プラムやサクランボ、西洋ナシのような痛みやすいものはドライフルーツにされました。
オレンジやレモンなどのイタリアからの輸入品は貴族の食べ物。外国の砂糖漬け果物も同様に、貴族のみが口にすることが出来る贅沢品。
庶民は地元で採れた果物の砂糖漬けのみです。
料理を彩る香辛料


この頃の料理にはひじょうに多くの香辛料が使われています。それをそのまま現代の材料で再現しようとすると、非常に香辛料のきつい食べ物となってしまいます。
当時は輸送状態や保存状態が悪く、香辛料そのものがかなり痛んでしまっていたこともあり、大量に使わなければならなかったようです。
塩や庭で栽培されているハーブのほか、酢、サフラン、ナツメグ、クローブ、シナモンなどの東洋のスパイスなど、現代とは比べものにならないほど豊富に使われています。
特に胡椒を使用した料理は格調高い料理。
富裕なカツェンエルンボーゲン伯爵家の居城であったラインフェルス城では、重要な来客が見込まれる場合、伯爵の使用人がフランクフルトの市場で、
- 塩
- 胡椒
- 飴や砂糖
- サフラン
- 生姜
- ナツメグ
- ローリエ
- クローブ
- パセリの種
- からし粉
- クミン
- シナモン
- コリアンダー
- パセリの根
などを購入したたという記録があります。


時には、ワイン漬けにしたスローゼリー、カリンと洋ナシのジャム、蜂蜜、ショウガ、クローブ、シナモンで作ったナッツ料理、ショウガ、スティックシナモン、クローブ、ナツメグ、パリグレイン、蜂蜜で作ったチェリー酒などのご馳走もありました。
まとめ:中世ヨーロッパの食文化から学ぶこと
冷蔵庫や水道のない時代、人々は工夫を凝らして食卓を豊かにしていました。
その知恵や文化は現代のドイツ料理や他のヨーロッパ諸国の料理にも息づいています。
食事の終わりにはデザートが出され、地元産の果物のほか、東洋からのなつめ、焼き栗、アーモンド、いちじく等がありました。時にはケーキ類、はちみつケーキ、パイ、ドーナツ、ワッフルなどが出てくることもありました。



もちろん、デザートがつくのは上流階級のみで、貧しい騎士階級や庶民にデザートなんてないからね。
特にフランスでは現在でもその風習が残っていて、食後のデザートとしてワインとチーズがでてくることがよくあります。


お菓子の種類も意外に多く、シナモン菓子、アニス菓子、キャラウェイビスケット、コリアンダー菓子、各種ゼリーなどがありました。



現代のようにいつでも好きなものを食べれるわけではなかったとは思うけど、意外と豊かだったのね。
中世ヨーロッパの飲み物については、こちらの記事で。

