城の時代– category –
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ドイツ中世の生活
中世の城で騎士たちはどんな日常生活を送っていたのか
ドイツ中世の城で騎士たちによる華やかな宮廷生活が…、と言いたいところですが、実際の生活は厳しいものでした。衣食住は基本的に自給自足です。城は窓が少なくて暗く、石造りの壁は寒さがこたえます。中世の騎士たちはいったいどんな生活を送っていたのでしょうか。 -
ドイツ中世の生活
中世貴族の服装の変遷
中世の人々も、現代人と同じようにファッションを楽しんでいました。 中世ヨーロッパの中でも、特に独特な文化と歴史を持つドイツ。その服装も例外ではありません。フランスやイタリアのような洗練された美しさとは異なる、力強く重厚なイメージが特徴です... -
ドイツ中世の生活
中世封建領主の仕事
領内の仕事を全部召使いに任せるのではなく、領主には領主の仕事の責務があり、領主夫人には領主夫人の仕事の責務がありました。 では、中世封建領主の城主夫妻の仕事とは、一体何だったのでしょうか。 封建領主の日常的業務 複雑な法律関係のもとで行政的... -
社会的背景
ドイツ騎士団(Deutscher Orden)
ドイツ騎士団(別名:チュートン騎士団)とは,ローマカトリック教会の騎士修道会のことで,十字軍時代の修道会の流れをくんでいます。テンプル騎士団,聖ヨハネ騎士団とともに,ヨーロッパ三大騎士団の一つです。 一時は騎士団国家まで設立した騎士団です... -
ドイツ中世の社会制度
ギルド(Zunft)-その既得権益と掟
ヨーロッパ中世的世界観のゲームでも,ギルドという言葉が登場します。ヨーロッパ中世で実在した「ギルド」という組織は,一体どのようなものだったのでしょうか。 ギルドとは中世から近世にかけて存在した商工業者の職人組合で,ドイツでは19世紀頃まで,... -
ドイツ中世の社会制度
選帝侯(Kurfürst)-その権力は国王より強い?
皇帝およびドイツ国王を選ぶ選挙権を持つ封建領主および聖職者を特に選帝侯といいます。 日本では天皇家に生まれた者の中から世襲制で天皇が選ばれるのに対し,中世ドイツ国王は世襲ではなく選挙で選ばれていました。 選帝侯構成員 各選帝侯には,宮内官が... -
ドイツ中世の社会制度
国境を守る辺境伯(Markgraf)とは
辺境伯は8世紀から11世紀の終わりにかけて,国境地域や辺境地域の領主に与えられた称号です。 その後,この称号は本来の国土防衛とは関係なく,帝国の特定の地位にある貴族称号となりました。 神聖ローマ帝国では,辺境伯は事実上公爵と同等の地位にあり,... -
ドイツ中世の社会制度
中世ドイツ貴族(Adel)階級の始まりと歴史
城に住んでいるのは、お姫様や王子様といった貴族よね。憧れちゃうわ~。貴族はどうやって貴族になったの? 城に住んでいるから貴族なのではなく、貴族は社会的特権階級です。独自の生活様式、風習、倫理観を持った社会階級。 貴族の起こりは国により地域... -
社会的背景
東方植民(Ostsiedlung)―中世ドイツの膨張
12世紀、急激に人口が増え、新たな集落が次々と形成され、景観の様子がそれまでとは一変しました。 以前は、広大な原生林が広がり、湿原や沼地、荒れ地があちこちに存在し、人々は小さな集落に身を寄せ合って生活しているに過ぎませんでした。 東方植民と... -
ドイツ中世の生活
騎士の城,ブルク
ブルクとは軍事機能を持つ城のことをいいます。つまり城砦です。周辺住民の安全を確保する場所でもあり、領主の館でもあったところです。 初期のブルク 先史時代より外的に襲われたときに逃げ込む“Fliehburgen(避難ブルク)が小高い丘の上に存在していま... -
ドイツ中世の生活
遍歴騎士(Fahrender Rittter)―豊かな生活を夢見て旅する若き騎士たち
騎士となるべく教育を受け、刀礼を受けて晴れて騎士となった若き騎士たち。すべてが城持ちの騎士であるわけではなく、多くは金なし、コネなしのないないづくしの騎士たち。そんな若き騎士たちは旅に出て、トーナメントを渡り歩いて資金だけで名誉と名声を稼ぎ、有力貴族の家臣あるいは未亡人と結婚して身を立てました。 -
ドイツ中世の生活
中世ヨーロッパ貴族の子どもの教育とはどんなものだったのか
昔の日本と同様に、ヨーロッパでも基本的に上流階級の母親は自分で母乳を与えず、乳母に世話をさせます。 子どもの教育が本格的に始まるのは7歳から。小学生になる年齢です。 男の子は戦士(騎士)になることが期待され、女の子は家事だけでなく、兵士たち...