1000年頃、神聖ローマ帝国とスカンジナビア半島の人口は約400万人であったとされていましたが、14世紀なかばになると1160万人に増えたとされています。
6世紀と14世紀に疫病で人口増加曲線は崩れるとはいえ、13世紀以降になるとそれまでには見られなかった速度で人口が増加していきました。
このような人口増加には穀物生産の増加が不可欠です。
農業革命以前の農業
中世初期のカロリング朝時代までの農業は、ゲルマン人の大移動の時代と比べても、ほとんど進歩していませんでした。
ローマ時代に二圃式農業こそ存在していましたが、二圃式農業が可能なのはヨーロッパ南部の一部地域に限られ、アルプス以北では毎年耕地を変える移動農業が主流でした。
二年に一度休耕させるのではなく、2年あるいは3年以上休耕させる必要がありました。
稲は連作可能ですが、小麦は連作ができないので、毎年耕作地を変更させる必要があったのです。
農具の大半は木製であり、刃先だけでも鉄製であればまだマシな方。多くは焼きを入れて硬くした程度のものです。
そんな器具では土を深く耕すことはできず、耕作しやすそうなところだけを選んで切り開くので精一杯でした。
重要な家畜
カロリング朝以前の麦の収穫倍率は、1粒の種子から2~3粒の収穫倍率しかありませんでした。
天候が不順になって作物が穫れなくなると、これではあっという間に飢えてしまいそうです。
そんな状況でも農民たちが生き抜くことができたんは、家畜の飼育が比較的容易だったからです。
ドイツの夏は日本の春のような気温で、30度を超えるようなことはめったにありません。
ちょっと放っておくとすぐに繁茂してしまうような日本の雑草たちとは違い、放っておいても茎や葉は柔らかいままで成長が止まり、家畜の餌としてはひじょうに適していました。
耕作地以外はすべて家畜の放牧地として利用されていたと考えてもいいでしょう。
森林には豚を放牧し、ドングリなどを勝手に食べさせ、冬が来る前に屠殺して塩漬けにして保存して食べていました。
増加する人口を支えるための農業革命
増加する人口を支えるためには、食糧生産も増加させる必要があります。
食糧生産が増加したからこそ、人口が増えます。
中世初期には2~3倍の収穫倍率しかなかったものが、中世中期になると3~4倍に増えました。(ちなみに現在の収穫倍率は30倍以上です。)
三圃式農業の普及
三圃式農業とは、種類の違う麦なら二連作可能であることを利用し、土地を3つに分けて、
冬小麦(小麦、ライ麦)→夏小麦(大麦、カラスムギ)→休耕地
の順に耕作地を巡回させて使用し、休耕地には家畜を放牧させました。
耕作地と休耕地を繰り返す二圃式農業よりも効率がはるかに向上しました。
カロリング朝時代、すでに三圃式農業が知られていましたが、それが一般に普及していきました。
鉄製農具の普及
鉄製農具が普及することにより、それまでは耕作に不適切だった森林を切り開くことができるようになり、耕作地が増大しました。
鉄製の鋤を馬や牛に引かせることによって、効率的に耕せるようになりました。
牛よりも馬のほうが歩く速度が早いので馬のほうが好まれ、馬鍬に適した馬具も考案されました。
製粉技術の向上
三圃式農業や鉄製農具の普及とならび、いやむしろそれ以上に、製粉技術の変化がありました。
中世初期以前は、石の器に穀物を入れ、同じく石を使って上からすり潰すような石臼を使用してこなししているに過ぎませんでした。大変な労力を必要とする作業です。
人力で行っていた製粉に対し、中世後期になると各地で水車が使われるようになりました。
また、水車に適した場所がない地域では、風車が発明され、建てられました。
農業革命が社会に与えた影響
生産量が少ない時代は、農業に携わらない人を養う余裕はあまりありませんでした。
農業生産が増加することによって、農業に携わらなくても良い人が登場するようになります。つまり、戦士や都市住民を生み出す余裕ができるのです。
村の形成
三圃式農業を実行するためには、個々の農家がバラバラに自分の農地だけを管理しているだけでは効率が悪いので、農民を1箇所に集め、農地も共同管理した方が都合が良いことが分かります。
バラバラに点在していた農民たちの住居を集めるため、封建領主は村落が形成されそうな場所に教会を建てたり、水車を設置したりするなどし、積極的に村落形成を促しました。
カロリング朝時代に比べ、賦役の割合が減少し、税金が中心となりました。
封建支配の変化
村には封建家臣(騎士)と領民が住み、領民にとっては封建家臣が君主であり、封建家臣にとっては封建領主が君主になるという、領地の支配が組織的、効果的なものになりました。
封建領主にとって農民一人ひとりの相手をする必要はなく、封建家臣さえ押さえておけば、村落を抑えることになりました。
税金や賦役も、村落単位で割り当てればよくなりました。