ローテンブルク・オプ・デア・タウバー(Rothenburg ob der Tauber)は,ロマンティック街道と古城街道が交差する場所にあります。ローテンブルクの現ブルクガルテン。ここにはかつて城が建っていました。それも帝国城塞(Kaiserburg)が建っていました。
ローテンブルクは赤い砂岩を用いているために赤く,赤い(Roten)城(Burg)からローテンブルクとなりました。
タウバー川の谷と、その上にそびえる街並みが美しいです。写真はブルクガルテンから撮った写真です。
ローテンブルクへの行き方
駅から近いので,鉄道を使っても行きやすいです。
フランクフルト空港→フランクフルト中央駅→ローテンブルク・オブ・デア・タウバー駅というルートになります。
また,古城街道を走る観光バスツアーがフランクフルト中央駅からでています。バスツアーを利用するのも便利ですが,時間には注意してください。
車で行く場合,城壁内よりも城壁外の駐車場の方が停めやすいです。城壁外の駐車場から城壁内へと入っていくのも,城塞都市の楽しみの一つです。
城塞都市ローテンブルクの見どころ
このブルクガルテンから眺める第3城壁は絶好の写真ポイントです。お勧めです。街がどういうところに建っているのかも、よく分かります。ドイツを南北に縦断する街道沿いにあり,湾曲するタウバー川に三方を囲まれ、城を建てたくなる場所だということがよく分かります。
ローテンブルクには中世犯罪博物館といった博物館がいくつかあります。興味のある博物館を見て回るのも良いですよ。
城塞都市ローテンブルクの訪問記
ローテンブルクで泊まる
城壁内のホテルか,城壁外に泊まるか。城塞都市の雰囲気を楽しめるのは,もちろん城壁内のホテルです。お値段はその分高くなります。でも,城壁外のホテルでもじゅうぶんに楽しむことはできます。値段も場内に比べてお手頃価格になりますし。
私は鉄道を使って行ったとき,駅近くの『Post』という名のガストホフに泊まりました。1階が居酒屋&レストランで,2階が宿屋になっています。R.P.G.(ドラクエとか)に出てくる宿屋の雰囲気そのものでした。他の客に話しかけて,ボスの情報を…,なんてしたくなる雰囲気です。ガストホフでしたので,お風呂はなくシャワーのみでした。
私が宿屋に着いたときはまだ掃除中でしたが,女将さんが快く荷物を置いてくれることを許してくれたので,心行くまでローテンブルクの観光を楽しむことができました。ここから城壁内へはすぐそこです。
1階のレストランでの食事はドイツ人サイズでしたので,ボリューム満点です。できれば郷土料理を注文し,地域による違いを堪能することをお勧めします。
城塞都市ローテンブルクの城壁内へ
ローテンブルクは妻面が道路に面しています。軒面か妻面のどちらが道路に面しているのかは,街によって違います。妻面が面している街の方が多いです。ニュルンベルクは軒面が面しており,街の雰囲気が違います。
マクドナルドの看板まで,街の雰囲気に溶け込むデザインになっていました。
たまたまイベントと重なっていました。
お祭りの行列を一目見ようと他の観光客が大勢集まります。道を渡るのにパレードが通り過ぎるのを待たなければならなかったり,人が多くて思うように進めなかったり,イベントと重なったことはラッキーなのかアンラッキーなのかわからない状態でした。
カイザーブルク跡地のブルクガルテン
ブルクガルテンへは,さらに城への城門を通っていきます。谷を三方に囲まれ,残りの一面には城塞都市があるという好立地です。
ブルクガルテンには塔が1つ残っている過ぎず,公園になっています。かつてはここに帝国城塞がありました。塔の壁を見ると,表面がぽっこりしており,シュタウフェン朝時代のものであることがわかります。塔を見ながら,古き時代に思いを馳せます。
ブルクガルテンを一周し,ローテンブルクが建っている立地を確認すると良いです。ブルクガルテンは突出部になっており,そこからのローテンブルクの城塞都市をぜひ眺めてください。
帝国城塞ローテンブルク城の歴史
ブルクガルテンに城の名残である塔が建っていますが、この塔をよく見ると、表面に出ている部分が丸みを帯びた方形の石(Buckelquader と言う)で作られていることが分かります。この形状はシュタウフェン朝時代のドイツのみに見られるものです。この形を見たら、シュタイフェン朝時代(1150-1250)のものと思って間違いありません。
城下町はこの城の元に商人が集まって形成されたものです。
- 970年頃
- ローテンブルク家のグラーフェンブルク(Grafenburg)がここに建てられます。
- 1116年
- 皇帝ハインリッヒ五世(Heinrich V.)は甥のコンラート・フォン・シュヴァーベン(Konrad von Schwaben)に封土として与えます。このコンラートは後にドイツ国王コンラート三世になります。
- 1152年
- 王位は甥のフリードリッヒ一世(赤髭王)(Friedrich I. Barbarossa)が引き継ぎます。 フリードリッヒ一世はローテンブルクで育ち、皇帝に就いたときはまだ8歳で、ローテンブルク童子とあだ名されていました。赤髭王(バルバロッサ)といったら、ドイツの中世を語るに度々登場する超人気のある皇帝です。
- 1157年
- 皇帝ハインリッヒ五世の息子,フリードリッヒは騎士叙任式を受け、ザクセン公ハインリッヒ獅子(Heinrich der Löwe)の娘と結婚しました。
- 1167年
- フリードリッヒはイタリア遠征中に死去し,赤髭王が遺産を相続します。
- 13世紀
- シュタウフェン家の断絶と共に、城は放棄されました。コームブルク修道院に寄進され、地震で壊れるまでは修道院のものになります。
- 1274年
- 都市ローテンブルクは帝国自由都市となります。
- 1356年
- ドイツにしては珍しく地震があり、城と都市は甚大な被害を受けました。すでに無人となっていた城の石材等は、都市の再建に利用されました。
こうして城は姿を消しました。城は消えましたが、その城下町は残り、栄えます。シュタイフェン朝時代はシュタイフェン朝の役人が納めていましたが、やがて城主はいなくなり、帝国都市となり、市民が管理していくことになりました。
なお、ローテンブルクという名はもう1つ、フルダ川沿いのがあります。
ローテンブルクの案内
- 公式サイト
- https://www.rothenburg.de/
ドイツ語,英語,日本語,スペイン語など
見どころはたくさんあります。お出かけの前に,公式サイトで行きたいところを絞り込んで効率よく見て回ることをお勧めします。