中世ヨーロッパ騎士道とキリスト教との間には、切っても切れないような深い関係があります。
- 礼拝堂のある城が多く専属の司祭がいることもあった
- 毎朝必ず城の礼拝堂でミサを行う
- 教会から破門されることがなによりも恐ろしいと騎士は思っている
そんなイメージがあります。しかし実際は?
民族大移動時代のゲルマン民族は、カトリックではなくアリウス派を信仰しており、ローマカトリック教会からは異教徒扱い。
ローマ帝国vs.ゲルマン民族よりも、ゲルマン民族vs.ゲルマン民族の戦いが各地で続き、その野蛮な行為にローマ・カトリック教会は頭を悩ませていました。
- 異端のアリウス派からカトリックに改宗させたい
- 神への信仰によって、蛮行を止めさせたい
という思いと、フランク王国創始者メロヴィング朝クローヴィス1世の
- 西ゴート族、アレマン族と対立しており、領内の司教の力がほしい
という両者の思いから、499年にクローヴィス1世(Clodwig I.)がカトリックに改宗したことからキリスト教カトリック派との関係が始まります。
とはいえ、すぐにカトリックの教えが広まったわけではなく、相変わらず戦士たちの蛮行は続き、教会は悩み続けていたよ
人の行動なんて、すぐに改まるわけではないしね
初期の騎士たちの周囲からの評価
イスラム軍の侵攻や、ヴァイキングの来襲、マジャル人の侵攻からキリスト教徒を守ったフランク軍の重装騎兵たち。
救世主として皆から感謝されているかと思いきや、実際は全く逆で、疫病のごとく忌み嫌われる存在でした。
野盗とかわらない騎士たち
初期の騎士たちは,決して褒められるような存在ではありませんでした。
確かに,騎士たちはヴァイキングたちと戦って追い払ってはくれています。
しかし同時に,この混乱に乗じて,些細なことでフェーデはしますし,商人や農村を襲ったりして,やっていることは野盗と何ら変わらなかったのです。
農民にとって,ヴァイキングも騎士も同じような厄介者です。
9世紀から11世紀にかけてのフランク軍の騎士たちは,
成功と、力の強いものが勝つ法則しか認めない、身の程知らずの集団
と評されています。
フランク王国の力が弱まり,分裂し,生まれた諸国の政府が力を持ってはじめて,これらの騎士たちを統制できるようになります。
騎士たちの追い剥ぎ,辻強盗などの暴力問題に悩まされていました。
しかし,いくら強力な王や侯爵であっても,自分の領地内で強者の法則を完全に根絶することはできません。
それどころか、王侯貴族自身も残虐性を示す者たちでした。
- 1日に10名もの人間の目を潰させる
- 捕虜の鼻と耳を切り落とさせる
- 逃げ出してきた女子供を向上機に縛り付ける
騎士をおとなしくさせる教会
この荒くれ者の騎士たちをおとなしくさせるために動き出したのが,教会です。
「神の平和」運動
ベネディクト修道会が起点となり,人々へのキリスト教の教義に対する理解が深まった結果,教会が世俗的な立法者として登場することになります。
この時行われた改革の一つが「神の平和(ラテン語:Pax Dei)」宣言であり,初期の騎士たちの恣意性や残虐性に向けて発令されたものです。
神の平和運動を,わかりやすくざっくりと説明すると
死後、教会から追放されて永遠の天罰を受けたくない者は、キリスト(カトリック)教徒として平和の義務を厳守しなければならない。
というものです。
これにより,教会,礼拝堂,巡礼地,宿屋,市場,通り,さらに司祭,修道士,巡礼者,女性,旅商人などが,「神の平和」の保護下に置かれました。
神の平和は,さらに「神の休戦(ラテン語:Treuga Dei」へと発展させました。神の休戦とは、
四旬節とイースター、アドベント、クリスマス、そして毎週水曜日の夕方から月曜日の朝まで、武器の仕様を厳禁する。
というものです。
キリスト教騎士の誕生
「神の平和」と「神の休戦」を徹底させるために,神の裁きと永遠に続く刑罰で脅しただけではありません。善良で敬虔な騎士に,
必要に応じて武器を手に取り,平和への取り組みを支援せよ!
と呼びかけました。
これまで武器の使用を一切禁止していた教会ですが,この宣言は革新的なものとなりました。
この宣言は,初期の騎士たちの自己認識を変革するには十分なもので,騎士は「宗教戦士」となります。ただの荒くれ者の騎士から,騎士一人ひとりにキリスト教戦士という職業が与えられました。
正義の戦いに向かう騎士には,剣や旗に教会の祝福が与えられます。
このように教会の明示的祝福を受け,「戦闘」と「善行」という相反するものが結び付けられました。
騎士の特別な仕事というものは,主君に献身的に尽くし,戦利品を求めず,主君を守るためなら自分の命を惜しまず,国家の利益のために死を賭して戦い,貧しい人や未亡人,孤児を守り,誓約した忠誠を破らず,主君を偽証しないことです。
ストリのボニゾ司教の『キリスト教生活に関する書物』の中の「キリスト教騎士」の理想像について述べた一節
良き騎士とは,正義と信仰のために戦う騎士であることが理解できます。
これが後に,騎士道へと発展したことは,言うまでもありません。
すべての騎士が良き騎士になれたとはとても思えませんが,騎士がキリスト教と結びつくことによって,騎士たちによる迷惑行為は減少しました。
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