小説『フランケンシュタイン』とフランケンシュタイン城

お城にまつわる伝説

フランケンシュタイン城の歴史はこちらをご覧ください

怪物フランケンシュタインゆかりのフランケンシュタイン城(オーデンヴァルト)(Burg Frankenstein)
ダルムシュタット(Darmstadt)の南のミュールタール(Mühltal)という所にあるフランケンシュタイン城です。 フランケンシュタインという名の城は,私の知っている範囲で他に2つあります。ラインラント・プファルツ州のフランケ...

1816年6月16日,夏の嵐のスイスの山小屋。メアリーとその仲間の計5人で怪奇小説を書き争った際に,メアリーが一夜で書き上げた小説が『フランケンシュタイン』です。

物語に登場するヴィクトール・フォン・フランケンシュタインの人物像は,ベンジャミン・フランクリンと,インゴルシュタットの大学で解剖学を教えていたチャールズ・ダーウィンの祖父エラスムス・ダーウィンが基になっています。

しかし一番基になっているのは,フランス軍の進攻によりオッペンハイムからフランケンシュタイン城に避難してきた夫婦からです。

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宮廷錬金術師ヨハン・コンラート・ディッペルの生涯

1673年8月10日に生まれました。

彼は神学,医学,錬金術を学びました。ギーセンで発表した論文が騒ぎになった後,1696年に一時アルザスに行きますがすぐに故郷に戻り,財政難のダルムシュタットの宮廷に取り入りました。そこで錬金術の研究を行います。色素のベルリン青の発明が唯一の成果です。一般的な化学物質のほか,子供や若い娘の血を扱っていたため,周辺の村では良くない噂が立ちました。

ハプスブルク帝国がトルコと戦争しているとき,彼はアルトナに逃げました。アルトナでデンマークの要職に就いていましたが,ストラスブール時代に書いたものが原因で,1726年に捕らえられます。彼は公開裁判にかけられ,死刑判決を受けました。

彼は1734年にヴィットゲンシュタイン城で亡くなりました。

1814年,メアリーとシェリー(後にメアリーと結婚)はロンドンから駆け落ちし,途中ドイツによっています。彼女はフランケンシュタイン城が二つあるということを知っていたと,日記より分かっています。

マンハイムとマインツの間に滞在し,その時フランケンシュタイン城廃墟とダルムシュタットを訪れたのではないかと思われています。

フランケンシュタイン城へのアクセス

フランケンシュタイン城のある山のふもとに鉄道の駅があります。駅から約1時間ほど山に登ると,フランケンシュタイン城にたどり着けます。車で行く場合,近くに駐車場があります。