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東方植民
1000年ごろ、農業の生産技術が発展し,人口が大幅に増加しました。 12世紀、新しい入植地を探し求め、東方へと広がっていきました。東方殖民はポーランド、ロシア、チェコ方面へと広がっていきました。入植に伴って新たな村や町ができました。 東方... -
環状囲壁
ブルクを形作っている城壁です。 城の大事な構成要素で内側を守ります。真のブルクには必ずこの環状壁があります。 詳しくは環状城壁をご覧ください。 -
ベルクフリート
強固で高い塔のことです。英語ではキープ(keep),仏語ではドンジョン(donjon)といいます。日本語ではよく『天守』と訳されているのをよく見かけます。城の重要な基本構成要素の一つです。 詳しくはベルクフリートをご覧ください。 -
トーナメント
英語ではトーナメントと言う。 トーナメントと言うと,一般にスポーツの勝ち抜き戦形式(それは本来ノックアウト形式と言う)を思い浮かべるかもしれません。しかし本来のトーナメントとは馬上槍試合のことです。 フランス国王アンリ2世がトーナメン... -
ミンネザング
シュタウフェン朝時代後期,ドイツ語圏における騎士の宮廷文化です。一言で言ってしまえば,吟遊詩人たちが歌う詩のことを言います。 “mine”とは,中世ドイツ語で「愛(Liebe)」を意味しています。“sang”は歌。 騎士道では主君の奥方相手に貴婦人崇拝を余... -
マルチン・ルター
1483年,坑夫の息子としてアイスレーベン(Eisleben)に生まれます。 1517年10月31日,宗教改革の出発点ともなる,免罪符反対の95の命題を公表します。 彼はヴァルトブルクで13の論文を書き,新約聖書をドイツ語に翻訳しました。 1534年,ルター約聖書全巻... -
方伯
ラテン語で表現では,lantgravius または comes terrae といいます。 中世後期以降の神聖ローマ帝国では、帝国諸侯の一員。 方伯は国王あるいは皇帝の役人で、元々は帝国内に配置され、ドイツ国王から与えられた封土で上位の司法権を持っていました。旧伯... -
フリードリッヒ一世(赤髭王)
1147年から1152年まではシュヴァーベン公爵フリードリッヒ三世(Friedrich III. Herzog von Schwaben)でしたが,後に皇帝に即位してフリードリッヒ一世赤髭王と呼ばれるようになりました。赤髭王にまつわる伝説が出来たり,偽フリードリッヒが登場した... -
フェーデ
決闘の一種で、小さな戦争。 中世前期、フェーデは加害者に対し自由民である被害者、またはその一族が暴力でもって加害者に復讐する訴訟法。 小さな戦争ですが、時には大きな戦争に発展することもありました。 詳しくはフェーデをご覧ください。 -
聖エリザベート
歌合戦の伝説の立会いに出てくる人です 言い伝えでは,1207年7月7日に生まれたと言われています。 父はハンガリー国王アンドレアス2世(Andreas II,在位1205-1235),母はアンデックス-メラニエン(Andechs-Meranien)伯爵ゲルトルート(Gertrud)... -
城伯
ラテン語で表現すると,praefectus urbis または burggravius といいます。 後に都市に発展する大きなブルク(Burg)で法律執行の職に就いていたのは,伯爵(Graf)位の貴族でした。ゆえに城伯(Burggraf)と呼ばれるようになりました。 詳しくは城伯をご... -
ミニステリアーレ
王に仕えた従者で,軍事的,行政的な仕事をしていた隷属的な人たちである。貧者もいれば富者もいる,騎士になれた不自由民。 詳しくはミニステリアーレをご覧ください。