小説『フランケンシュタイン』とフランケンシュタイン城にまつわる伝説

『フランケンシュタイン』は、イギリス人作家メアリー・シェリー(Mary Wollstonecraft Godwin Shelley)が書いたSFホラー小説です。

1816年6月16日、夏の嵐のスイスの山小屋。メアリーとその仲間の計5人で怪奇小説を書き争った際に、メアリーが一夜で書き上げた小説が『フランケンシュタイン』と言われています。

一夜で書き上げたなんて噂されますが、そんなことはありません。

1814年、メアリーとシェリー(後にメアリーと結婚)はロンドンから駆け落ちし、途中ドイツに寄っています。彼女はフランケンシュタイン城が二つあるということを知っていたことも、日記より分かっています。

マンハイムとマインツの間に滞在し、その時フランケンシュタイン城廃墟とダルムシュタットを訪れたのではないかと思われています。

関連:フランケンシュタイン城(オーデンヴァルト)(Burg Frankenstein)-怪物フランケンシュタインゆかりの城

フランケンシュタインの怪物は知っていても、物語のあらすじを知らない人は多いと思いますので、まずはあらすじを紹介し、フランケンシュタイン城に残る伝説や伝承について紹介します。

著:シェリー, 翻訳:小林 章夫
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目次

小説『フランケンシュタインあるいは現代のプロメテウス』のあらすじ

フランケンシュタインは、北極探検家ウォルトンが姉に宛てた手紙という形式で書かれています。

ウォルトンは北極を目指して探検中、氷山に乗って漂流してきた男を助けます。その人物こそがヴィクター・フォン・フランケンシュタインという男で、彼から不思議な話を聞かされます。

最初はヴィクターが生まれ育った環境について。家族と離れてインゴルシュタット大学に進学し、化学の研究に没頭したことを話します。

研究に没頭する前までの話は、正直面白くない。

やがて生命の原理に興味を持ち、生命発生の原因を発見することに成功。寝食を忘れるほどに取り憑かれたように没頭して生み出した生命体はひどく醜い怪物でした。

怖くなったフランケンシュタインは怪物の元を逃げ出し、故郷のジュネーブへと逃げ帰ります。

一方その頃、怪物はその醜さ故に人々から迫害を受けてしまい、闇に潜んで生き延びます。

怪物は息を潜めながらも周囲の人々の生活を観察し、火の使い方を覚え、言葉を覚え、自分を創造したフランケンシュタインのいるジュネーブへとたどり着きます。

ジュネーブで怪物はヴィクターの弟ウィリアムを殺害。ウィリアム殺害の罪で家政婦のジュスティーヌは絞首刑。

怪物の存在を感じたヴィクターはシャモニーへと行き、そこで怪物と対面します。誰からも拒絶された孤独な怪物から「伴侶を作成して欲しい」と頼まれ、約束します。

ヴィクターが怪物の存在に気づき、逃げながらも約束を守ろうとするところから、話は面白くなってくるよ。

友人クラーヴァルとともにスコットランドへ行ったヴィクターは、一人小屋で怪物の伴侶となるべくものを作ります。しかし途中で自分がしていることの危険性への恐れから怪物の要求を拒絶。作りかけのものを破壊し、危機もすべて破棄します。

これを見た怪物はクラ―ヴァルを殺害。クラーヴァル殺害の犯人と間違えられ、ヴィクターは牢獄に入れられます。

釈放後は故郷のジュネーブに戻り、養女として一緒に育てられたエリザベスと結婚しますが、結婚式の夜にエリザベスは怪物に殺され、ヴィクターの父も失意の中で亡くなります。

ヴィクターは怪物への憎悪が募り、怪物を倒すために追跡を開始。

しかし北極海で力尽き、ウィルトンの船に拾われました。

すべてを語ったヴィクターはウィルトンの船上で息を引き取り、その遺体の前に怪物が現れます。

怪物もウィルトンに自分の身の上話を語った後、自ら命を断つために氷山の上に乗って闇の中へと消えていきました。

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『フランケンシュタイン』に登場する人物は、現在でのレマン湖周辺で多く見られる名前です。

映画のフランケンシュタインは、原作とはだいぶ内容が変わっているよ。

Amazon Primeで観られます。小一時間ほどの白黒映画です。

出演:ボリス・カーロフ, 出演:コリン・クライヴ , 監督:ジェームズ・ホエール

フランケンシュタイン城の伝承

フランケンシュタイン城(Burg Frankenstein)

フランケンシュタイン城には、小説のモデルになったと考えられる伝説や伝承が、以下のようにいくつも存在します。

  • 磁石山
  • 住居塔の幽霊
  • 若返りの泉
  • フランケンシュタインの怪物の伝説

ここでは上記の伝説をそれぞれ紹介し、最後に物語の登場人物ヴィクター・フォン・フランケンシュタインのモデルとなった科学者について紹介します。

関連:フランケンシュタイン城(オーデンヴァルト)(Burg Frankenstein)-怪物フランケンシュタインゆかりの城

磁石山

遠い昔、火山の噴火で磁気を帯びた岩石がここに流れ込み、現在もあらゆる方位磁石を狂わせることから「磁石岩」と呼ばれるようになりました。

ここにある岩がなぜ強い磁気を帯びているのか、いまだに謎です。

アパラチア山脈やイエローストーン国立公園にも同じ性質を持つ岩石があって、「フランケンシュタイン斑糲岩」という名称が国際的に合意されているよ。

アウグスト・オイラー(August Euler:1868-1957)の失敗

アウグスト・オイラーはドイツ航空のパイオニアで、初のパイロット・ライセンス取得者。

ダルムシュタットからベルリンに飛行機で飛ぶはずが、フランケンシュタイン上空でコンパスが「東に3度ずれる」ことを忘れてしまったため、着いたところはドレスデン。

オイラーが開発した機体は魅力的ではあったが目的地に到着できなかったため、ビジネスには繋がりませんでした。

フランケンシュタイン城の伝説は、不思議とこの磁石岩の周辺のことが多いよ。

住居塔の幽霊

アドベント1日目の夜

「美しい裸の処女アンネマリーの幽霊が住居塔の一番高い部屋に出没し、好奇心旺盛な男たちの頭を回転させる」

童話の一つ。

若返りの泉

グリム童話『泉のそばのがちょう番の女』に登場するような「若返りの泉」が20数カ所あります。そのうちの一つが、フランケンシュタイン城近くにあったと言われています。

ちなみに、若返りの泉の伝説は、ギリシア神話を始めとするヨーロッパほぼすべての文化圏に存在します。

フランケンシュタイン城にあった泉の場所はおそらく現在のレストランの裏側。

そこはかつて水が流れていた場所で、雨が降ったときだけ姿を表すだけの細流。

城の西側に弱い泉が発見されています。

ドイツ神話の中の伝説

ヴァルプルギス後の最初の満月の夜、古代の豊穣の儀式を行う3つのテラスがあった。

近隣にする老女たちが集まり、第一のテラスで、「主なる神がお造りになったように裸で」草の塊の下を這うようにして岩を3周。

次の第二のテラスでは火の中を歩いて岩を3周。高く燃え盛る炎の上を飛び越えなければならなかった。

儀式の最後は泉の近く。井戸の桶に飛び込んで身を沈めた。

氷のように冷たい水の中で頭の天辺まで水に浸かり、長く耐えたものが豊穣の年の始まりに相応しい最も美しい女性とされた。老女が「男盛りの年頃」のように、若く爽やかになった。

ケルト時代から礼拝所があった可能性があるんだよ。紀元前2000年頃の青銅器時代、フランケンシュタイン城のある場所にはすでに交易路が通っていたよ。

フランケンシュタインの怪物の伝説

城に住んでいた魔術師が、谷や山道の墓から死体を盗み出し、その一部から怪物を生み出し、城の牢獄に入れた。

11月のある暗い日、怪物は地下牢を抜け出し、造り手である魔術師を殺して森に逃げ込んだ。

それは今も森に住み、孤独で、全ての人間の敵である。

怪物は寂しさのあまり、森に一人で出かけている小さな子供たちをさらって、自分の隠れ家まで連れていく。そこで、飽きるまで遊んでしまう。

そして、その惨めな姿を熱湯に浸して食べる。

まんまフランケンシュタインの怪物じゃないのっ!

フランケンシュタインのモデルとなった人物

小説『フランケンシュタイン』に登場するヴィクター・フォン・フランケンシュタインの人物像は、

  • ベンジャミン・フランクリン
  • エラスムス・ダーウィン(Erasmus Darwin)
  • ヨハン・コンラート・ディッペル・フォン・フランケンシュタイン(Johann Conrad Dippel von Frankenstein)

が基になっていると考えられています。

しかし一番基になっているのは、フランス軍の進攻によりオッペンハイムからフランケンシュタイン城に避難してきた夫婦から生まれた宮廷錬金術師ヨハン・コンラート・ディッペル・フォン・フランケンシュタインと言われています。

関連:フランケンシュタイン城(オーデンヴァルト)(Burg Frankenstein)-怪物フランケンシュタインゆかりの城

エラスムス・ダーウィン

エラスムス・ダーウィンは、かの有名なチャールズ・ダーウィンの祖父。

インゴルシュタット大学で解剖学者として教鞭をとっていました。電気を使った実験や、死体や死体の一部を使った実験が行われていた時代です。

そういえば、小説に登場するヴィクター・フォン・フランケンシュタインは、インゴルシュタット大学で勉強し、研究していたね。

ベンジャミン・フランクリン(Benjamin Franklin)

電気に関する実験を行い、避雷針やコンデンサの研究を行っていた研究者です。

著者メアリーの実家では、父チャールズ・ゴドウィンがこのテーマに熱心に取り組んでいたらしいよ。

宮廷錬金術師ヨハン・コンラート・ディッペルの生涯

メアリー・シェリーが『フランケンシュタイン』を書く前に、ディッペルとその実験について集中的に研究していた証拠が残っています。

ヨハン・コンラート・ディッペル
Hamburg State and University Library Carl von Ossietzky, Public domain, via Wikimedia Commons

1673年8月10日、普仏戦争でフランス軍から逃れるために両親がフランケンシュタインに避難し、ヨハン・コンラート・ディッペルがここで生まれました。

17歳からダルムシュタットで神学、医学、化学(錬金術)を学びました。

1696年、ギーセンで発表した修士論文『無について』が騒ぎになった後、アルザスに行き、ストラスブールで物理学と手相占いを講義しました。

しかし多額の借金を抱えて生まれ故郷のフランケンシュタインに戻り、財政難のダルムシュタットの宮廷に取り入りました。

そこで錬金術の研究に専念。色素の紺青(ベルリン青)の発明の基礎を築きましたが、不老不死の薬を求めて火薬塔の一部を爆発させてしまいました。

Dippel’s elexirum vitae

痛風、喉の痛み、耳鳴りなど、あらゆる病気に効くと宣伝してた不老不死の薬。

現在では狭心症に有効で、それに含まれるニトログリセリンが有効成分です。

そりゃ、爆発するわ

周辺の村では、悪魔と結託していると噂になっていました。

不老不死の薬で高い評価を得たディッペルは、アムステルダムで評判の医師として暮らしていました。しかしハプスブルク帝国がトルコと戦争しているときにこれを批判し、アルトナに逃げなければならなくなりました。

アルトナではデンマークの要職に就いていましたが、コペンハーゲン政府を批判したために1726年に捕らえられ、ボーンホルム(Bornhorm)に幽閉されますます。

公開裁判で死刑宣告を受けたものの、「高貴な血筋」であったため処刑できず、数年間ボーンホルムで軟禁状態となりました。

ここで消化不良に効く薬をより良く生産する方法の開発に成功し、7年弱で開放されました。

1年後、医師としてスウェーデン王宮に迎えられるも、政治的、神学的争いからすぐに対立するようになり、ベリーブルク(Berieburg)に逃げ出します。

1734年、彼はヴィットゲンシュタイン城で謎の死を遂げましたが、脳卒中で倒れたと推定されています。

きっと悪魔が彼の悪行に対して拳で殴って殺したんだよ。

ディッペルの死に対して、こんな噂が流れたのだとか…。

フランケンシュタイン城にはディッペルの実験室があったとされていますが、どの程度の規模であったのかは明らかになっていません。

コンラート・ディッペルにまつわる伝承

どんな科学的な議論にも尻込みせず、歯に衣着せぬ発言で行く先々で人々を困らせるような人でしたが、頭の回転の速さと知性は誰もが賞賛せずにはいられないような優れた人物。

悪魔と契約した魔術師と噂されるような人物でした。

胴体から腕と足を切り落とし、体をきりひらいているんだって。若い女や子どもから地を抜き、瓶に入れて保管しているんだってよ。

特にクリスマスから1月1日にかけて、礼拝堂の屋根の上に座り、骨をガタガタと鳴らしながら、死体や処女を使った陰惨な実験を行ったとされる実験室の入り口を探して、大声で喚いているのだとか…。

錬金術師の幽霊が、ニーダー・ベアバッハ(Nieder-Beerbach)の教会堂に出没し、死者の残骸を破壊しているんだって。

城の中庭の入り口である西側の鉄の門には、フランケンシュタイン城で大暴れした怪物や不気味な生き物がここに住んでいるんだ。

数々の伝説の残るフランケンシュタイン城について詳しくはこちらをご覧ください

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