社会的背景– category –
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巡幸王権(Reisekönigtum)―定住地せずに移動し続ける君主
フランク王国時代から中世後期まで、ヨーロッパの国々は 国を統治するための恒久的な政治の中心地である首都を持たず、多くの側近を従えて国内を転々と移動しながら支配していました。 これを巡幸王権(Reisekönigtum)といい、ドイツのみならず他のヨーロ... -
フランク王国メロヴィング朝はどんな時代?―中世の始まり
古代から中世への変換点はいつなのか。 ドイツにおける中世の始まりは、375年のフン族の襲来を始まりとする説が一般的です。 フン族の襲来によりゲルマン民族の大移動が発生し、移動してきたゲルマン民族により古代ローマ帝国が滅び、ゲルマン民族のフラン... -
中世ドイツの農業革命と人口爆発
1000年頃、神聖ローマ帝国とスカンジナビア半島の人口は約400万人であったとされていましたが、14世紀なかばになると1160万人に増えたとされています。 6世紀と14世紀に疫病で人口増加曲線は崩れるとはいえ、13世紀以降になるとそれまでには見られなかった... -
十字軍の遠征とその影響ー騎士道の進化と築城術の発展
キリスト教の騎士たちが聖地エルサレム奪還を目指して遠征した「十字軍」。 聖地を恒久的に支配することは叶わなかったものの、この遠征はヨーロッパ世界に文化・産業・社会・軍事など多方面で大きな変化をもたらしました。 当時、ヨーロッパよりもイスラ... -
騎士とキリスト教(カトリック)との関係のはじまり
中世ヨーロッパ騎士道とキリスト教との間には、切っても切れないような深い関係があります。 礼拝堂のある城が多く専属の司祭がいることもあった毎朝必ず城の礼拝堂でミサを行う教会から破門されることがなによりも恐ろしいと騎士は思っている そんなイメ... -
ドイツ騎士団と中世ヨーロッパ:宗教・戦争・差別の800年
中世ヨーロッパの歴史を語る上で欠かせない存在の一つが「ドイツ騎士団(別名:チュートン騎士団)」。 名前は聞いたことあるけど、詳しくは知らないわ。 正式名称を「聖母マリア病院ドイツ騎士修道会」(Orden der Brüder vom Deutschen Haus St. Mariens... -
東方植民(Ostsiedlung)―中世ドイツの膨張
12世紀、急激に人口が増え、新たな集落が次々と形成され、景観の様子がそれまでとは一変しました。 以前は、広大な原生林が広がり、湿原や沼地、荒れ地があちこちに存在し、人々は小さな集落に身を寄せ合って生活しているに過ぎませんでした。 東方植民と...
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