ヨハニターブルク・キューンドルフはシュロスキューンドルフ(Schloss Kphndorf)とも呼ばれている城です。
聖ヨハネ騎士団によって建てられた城です。
聖ヨハネ騎士団によって建てられた城は,ドイツ語圏で3つありますが,現在まで残っているのはこのキューンドルフ城のみです。
そして,チューリンゲンの古城街道の中で唯一の個人所有の城です。
目次
キューンドルフ城の見どころ
結婚式や誕生日などのパーティに利用されています。
中世祭り
ドイツの地方の城ではよくあることですが,城で村おこし?のようなイベントが多く開催されています。
スタッフのみなさんが中世風の衣装をきていて,中世風のアイテムを作成したり,食事をしたりして,中世騎士の生活の雰囲気を味わうことができます。
キューンドルフ城へのアクセス
ロア(Rohr)からバスが出ていますが,車のほうが遥かに行きやすいです。
アウトバーン71号線のエアフルト(Erfurt)-シュヴァインフルト(Schweinfurt)の間にあるマイニンゲン・ノルト(Meiningen-Nord)で降ります。
キューンドルフ城の歴史年表
- ケルト時代
- この地にはすでに要塞と集落が存在していました。
- ゲルマン人の移動
- フランク人がこの地に入植すると,整然とした村が形成されるようになりました
- 795年
- フルだ修道院への寄付の証書に,Chunitorpfeという名で登場します。
- 1137年
- カイザープファルツ・ロア(Kaiserpfaltz Rohr)で発行された文書に,ゴットフリート・フォン・キューンドルフ(Gottfried von Kühndorf)の印章がありました。この地の地名を名字とした人物が登場し,キューンドルフで騎士の地位に就いていた貴族であることが推測されます
- 1274年
- 城に関することが文献に初めて登場します。当時の城を特徴づけるブッケルクヴァダー(Buckelquader:コブのある切石)とスポリアは,現在の城にも残っています。
- 1315年
- ベルトルト六世と七世は,城とドルマール山(Berg Dolmar)および周辺の村々を聖ヨハネ騎士団に売却し,そこに新しい城を建てる許可をえます。そして,もともとあった古い城を取り壊し,その上に新しいブルクを建てました。2つの幅の広い住居塔は,騎士団の城を特徴づけています。
- 1444年
- ベルトルト八世が死去すると,騎士団はキューンドルフへの関心がなくなり,売却されます。最終的にゲオルグ一世・フォン・ヘネベルク=レームヒルド(Georg I. von Henneberg-Römhild)が購入します。5つの塔をもつツヴィンガー施設を建設し,火器での防御が可能になりました。
- 1549年
- ヘネベルク=レームヒルド家が断絶すると,ヘネベルク=シュロイジンゲン(Henneberg-Schleusingen)家が相続します。
- 1583年
- ヘネベルク=シュロイジンゲン家が断絶すると,ザクセン公爵家に相続されます。キューンドルフ城は使用されなくなります。
- 1815年
- ウィーン会議にて,キューンドルフはプロイセンに譲渡され,ザクセン州に属することになりました。
- 20世紀初頭
- オーバーブルクをトロイペル博士(Dr.Treupel)が購入し,彼はここに武器庫,レストラン,旅館を設立しました。ウンターブルクはキューンドルフの農民が購入しています。
- 1945年
- オーバーブルクは没収され,公有地となります。戦後,難民や強制移住者が収容されました。
- 1991年
- ヨハン・フリードリッヒとグドゥラ・フォン・アイヒボルン(Johann-Friedrich und Gudula von Eichborn)がオーバーブルクを自治体から,ウンターブルクを個人から購入し,大規模改修を行いました。
現在も,アイヒボルン家が城の維持・管理を行っています。
Johanniterburg Kühndorf - Willkommen!
Willkommen auf der Johanniterburg Kühndorf in Südthüringen - der Ausflugstipp bei Meiningen und die Location für Hochzeiten und andere Feiern.