Tooltips– archive –
-
シュマルカルデン戦争
シュマルカルデン戦争(Schmalkaldischer Krieg)は、1546年から1547年にかけて神聖ローマ帝国で発生した、プロテスタント派諸侯と帝国都市(シュマルカルデン同盟)とカトリック教会を支持する神聖ローマ皇帝カール5世との間で行われた戦争です。 ドイツ... -
ヴェルフェン家
ヴェルフェン家(Welfen:ヴェルフ家とも)は、中世から近代にかけてヨーロッパで影響力を持ったドイツの貴族家系です。 ヴェルフ家は9世紀初めにバイエルンを基盤として興隆しました。シュッセンガウ伯ヴェルフが初期の重要人物で、彼の娘ユーディトはカ... -
宮中伯
宮中伯(Pfalzgraf)は、中世ドイツにおける重要な官職の一つで、以下のような特徴を持ちます。 意味と役割: 宮中伯は「宮廷の書記」という意味を持ち、今日では「大臣」に相当するものと解釈されています。 神聖ローマ帝国において、皇帝の側近として宮廷... -
ヴィッテルスバッハ家
ヴィッテルスバッハ(Wittelsbach)家は、ドイツのバイエルン地方を中心に栄えた有力貴族の家系。 1180年にオットー1世(Otto I.)がバイエルン公となって以来、バイエルン公爵や選帝侯、バイエルン国王として約740年以上にわたりバイエルンの支配者として... -
紋章
紋章とは、13世紀から騎士が盾や鎧に身につけていた外部の識別標識です。 紋章によって、鎧を完全に装備した状態でもその持ち主を識別し、特定の貴族家系に帰属させることができました。 後に、紋章は個人、家族、団体、市町村の遺伝的な象徴となり、文書... -
大空位時代
1254年から1273年にかけての神聖ローマ帝国の歴史において、皇帝が不在であった期間を指します。この時代は、フリードリヒ2世の死後に始まり、ルドルフ1世が皇帝として選出されるまで続きました。 この期間中、神聖ローマ帝国では中央権力が弱まり、各地の... -
帝国城塞
帝国城塞は、中世ドイツにおいて皇帝の命令によって、帝国直轄領に建てられた城です。帝国城塞は、皇帝の権威の象徴であり、帝国領土の防衛拠点として重要な役割を果たしました。 皇帝は城伯またはブルクマンを任命し、管理させました。 カロリング朝時代... -
リメス
ローマ帝国時代の防砦システムであり、同時にローマ領の境界線を示すものです。 「リメス」はラテン語で「境界」を意味し、英語の「Limit」の語源にもなっています。もともとは土地分割の境界線となる単なる道路を指す言葉でしたが、ローマ軍の遠征活動に... -
ヴォールト
-
背丸角石
「Buckelquader」はドイツ語で「凸状の石材」を意味します。 背丸角石は12世紀から13世紀にかけて、ドイツ南西部を中心に広く用いられました。特にホーエンシュタウフェン朝の皇帝によって建てられた城に多く見られ、この時代の建築様式の象徴的な要素の一... -
国王選挙
万世一系の日本の皇室とは異なり、中世ヨーロッパにおいて国王は諸侯による選挙で選ばれるものでした。 国王選挙は、主に神聖ローマ帝国で行われた特異な制度です。この選挙制度は、一般に「選帝侯」と呼ばれる高位の貴族たちによって運営されました。選帝... -
バロック
バロックとは、16世紀に始まり1760、70年頃まで続いたヨーロッパ美術史の時代を指します。 統一と静寂を目指したルネッサンス様式に変わり、表現の豊かさと動きを追求すると同時に、シンメトリーを好む傾向にあり、ドイツではドレスデンのツヴィンガー宮殿...